土浦全国花火競技大会(つちうらぜんこくはなびきょうぎたいかい)は、茨城県土浦市の桜川畔(学園大橋下流付近)で毎年秋に開催される花火競技大会です。
この大会は、秋田県の大曲の花火、新潟県の長岡まつり大花火大会と並び、「日本三大花火大会」および「日本三大競技花火大会」の一つに数えられています。全国の煙火師がその技術と芸術性を競い合う、国内屈指の権威ある大会です。

概要
土浦全国花火競技大会は、茨城県土浦市の桜川畔(学園大橋下流付近)で毎年秋に開催される、国内屈指の花火競技大会です。
- 日本三大花火大会の一つ:
秋田県の「大曲の花火」、新潟県の「長岡まつり大花火大会」と並び称される、権威ある大会です。
- 開催時期:
毎年11月第1土曜日に開催されます。(以前は10月開催でしたが、近年は天候を考慮し11月に変更されました)。全国的にも珍しい秋季開催の花火大会であり、澄んだ夜空に花火が鮮やかに映えるのが特徴です。
- 競技の部:
全国から集まった一流の花火師たちが、スターマインの部(速射連発花火)、10号玉の部(尺玉)、創造花火の部の3部門で技術と芸術性を競い合います。
- 最高栄誉:
各部門の優勝者の中から、最も優秀な花火師には内閣総理大臣賞が授与されます。この賞は、日本の競技花火大会の中でも、土浦と大曲の二大会のみに与えられる最高の栄誉であり、花火師たちの最大の目標となっています。
- 起源:
大会は1925年(大正14年)に、霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者慰霊と地元経済の復興を目的として始まりました。
歴史
大正14年(1925年)大会の起源。霞ヶ浦海軍航空隊と親交の深かった神龍寺の住職・秋元梅峯(あきもとうばいほう)が、関東大震災からの復興と、霞ヶ浦海軍航空隊の殉職者慰霊、地元商工業の活性化を目的として、私財を投じ霞ヶ浦湖畔で開催した「土浦町全国花火競技大会」が始まりです。
- 昭和16年〜20年:
第二次世界大戦のため中断。
- 昭和21年(1946年):
戦後いち早く全国花火競技大会としてGHQの許可を得て桜川畔で復活開催されました。
- 昭和34年(1959年):
速射連発(スターマイン)が競技部門に加わりました。
- 昭和46年(1971年):
開催場所が現在の桜川畔(学園大橋下流付近)に定まりました。
- 平成12年(2000年):
競技部門の最高賞として内閣総理大臣賞が創設され、授与が開始されました。
- 近年:
安全面を考慮し、従来の10月開催から11月第1土曜日開催に変更されました(2020年以降)。秋の澄んだ夜空に打ち上がるのが特長となっています。
- 2025年:
大会創始から100周年の節目を迎えます。
競技部門
花火師の技術と芸術性を競う以下の3部門が行われます。
- スターマインの部
- 速射連発花火の技術を競う部門。数百発の多種多様な花火を音楽に合わせて連続的に打ち上げる、総合的な演出力が評価されます。
- 経済産業大臣賞が授与され、「スターマイン日本一」を決める大会としても知られています。
- 10号玉の部
- 直径約30cmの大型花火玉(尺玉)で、上空で約300メートルに開く花火の部門。
- 開花の美しさ、色彩の鮮やかさ、完璧な球形の仕上がりなどが評価されます。
- 中小企業庁長官賞が授与されます。
- 創造花火の部
- 従来の型にとらわれない自由な発想と独創性を追求した花火の部門。花火師の芸術的センスが光ります。
- 茨城県知事賞が授与されます。
最高賞
上記3部門の優勝者の中から、最も優秀な花火師に内閣総理大臣賞が授与されます。これは、国内の数ある花火大会の中でも、土浦と大曲の二大会のみに授与される、花火師にとって最高の栄誉です。
特色と見どころ
1. 全国屈指の競技レベル
全国の花火師たちが技術を競い合うため、一つ一つの花火の完成度や、スターマインの構成力、創造花火の独創性が非常に高いレベルにあります。
2. ワイドスターマイン「土浦花火づくし」
競技後に打ち上げられる余興花火(大会提供花火)の一つで、幅数百メートルにわたって大量の花火が次々と打ち上がる圧巻のフィナーレとして知られています。
3. 秋の開催
全国的な花火大会の多くが夏に開催される中、土浦は秋に開催される数少ない大会です。秋の澄んだ空気は花火の色彩をより鮮明にし、夏場に比べて涼しく快適に観覧できることも魅力です。
動画
外部リンク
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