長岡まつり大花火大会

ながおかまつりだいはなびたいかい

長岡まつり大花火大会(ながおかまつりだいはなびたいかい)は、新潟県長岡市の信濃川河川敷で毎年8月2日・3日の2日間にわたって開催される、国内有数の大規模な花火大会です。通称「長岡花火」として親しまれています。

この大会は、秋田県の「大曲の花火」、茨城県の「土浦全国花火競技大会」とともに「日本三大花火大会」の一つに数えられます。しかし、他の二大会が花火師の技術を競う「競技大会」の性格が強いのに対し、長岡花火は明確に「慰霊と平和への祈り」を目的とする「祈りの花火」であることが最大の特徴です。

長岡まつり大花火大会の花火風景

概要

長岡花火の開催日は、歴史的な悲劇と深い結びつきがあります。

  • 開催時期と場所:
    毎年8月2日・3日の2日間、信濃川河川敷(長生橋下流)を舞台に開催されます。
  • 「祈りの花火」の起源:
    1945年(昭和20年)8月1日深夜、長岡市は激しい空襲に遭い、市街地の約8割が焼け野原となり、多くの市民が犠牲となりました。この悲劇を忘れないため、空襲の翌年(1946年)8月1日に「長岡復興祭」が開催されたのが現在の「長岡まつり」の起源です。
  • 込められたメッセージ:
    大会は、戦災殉難者への慰霊、復興に尽力した先人への感謝、そして恒久平和への願いを込めて続けられています。8月1日は平和祭として慰霊の行事が行われ、2日・3日の夜に大花火大会が開催されます。

歴史

  • 明治12年(1879年):
    長岡で初の花火大会が、千手町八幡様のお祭りで遊郭関係者らの協賛により開催される。(長岡花火の起源)
  • 昭和20年(1945年)8月1日:
    長岡空襲により市街地が壊滅的な被害を受ける。
  • 昭和21年(1946年)8月1日:
    空襲から1年後、戦災からの復興を願う「長岡復興祭」を開催。(現在の長岡まつりの前身)
  • 昭和23年(1948年):
    空襲の翌日となる8月2日・3日を花火大会の日と定め、慰霊と復興の願いを込めた祭典として開催されるようになる。
  • 昭和26年(1951年):
    戦後初となる正三尺玉の打ち上げに成功。祭典の名称を「長岡まつり」に改称する。
  • 平成17年(2005年):
    中越地震からの復興を象徴する復興祈願花火「フェニックス」の打ち上げを開始。
  • 現在:
    毎年100万人以上が訪れる日本を代表する花火大会として、そのメッセージを世界に発信し続けている。

主なプログラムと見どころ

日本一の大河である信濃川の広大な河川敷を最大限に活かした、他に類を見ないビッグスケールな花火が長岡花火の魅力です。

  • 正三尺玉(しょうさんじゃくだま)
    • 長岡花火の代名詞。玉の直径が約90cm(3尺)にもなる超大玉花火で、約600m上空で開花し、その大きさは直径約650mに達します。複数発打ち上げられるその迫力は圧巻です。
  • 復興祈願花火「フェニックス」
    • 2004年の中越地震からの復興を願い、2005年から打ち上げられている名物プログラムです。
    • 平原綾香の「Jupiter」に合わせた超ワイドスターマインで、その打ち上げ幅は約2kmに及びます。「何度被害に遭っても不死鳥のように甦る」という復興のメッセージを夜空に表現します。
  • ナイアガラ大瀑布
    • 信濃川にかかる長生橋や大手大橋から流れ落ちる仕掛け花火。川面に映る光の筋と合わせて、雄大な景観を作り出します。
  • 米百俵花火・尺玉100連発
    • 長岡の精神的支柱である「米百俵の精神」にちなんだプログラム。尺玉(10号玉)が大量に連発される壮大なフィナーレを飾る花火の一つです。

動画

外部リンク

この記事の著者

男の感性に火をつける、ライフスタイルWEBマガジン「GENTS-ジェンツ-」運営。
40代を中心とした大人世代に向けて、茨城県南エリアの情報を本当に良いと感じたものだけを厳選して紹介しています。

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