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鹿島神宮(かしまじんぐう)は、茨城県鹿嶋市にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮(いちのみや)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社である。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社(とうごくさんしゃ)の一社に数えられる。
関東地方最古の神社の一つとされ、皇室や藤原氏、歴代の武家政権から篤い崇敬を受けてきた。特に、古くから朝廷による東国(関東・東北地方)経営の拠点として重要視された。
主祭神である武甕槌大神が「武の神」として信仰されたことから、中世以降は武士の崇敬を集め、武道(特に剣術)の道場では鹿島神宮の「鹿島大明神」の掛け軸が祀られることも多い。
明治時代以前に「神宮」の称号で呼ばれたのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社のみであり、その格式の高さを示している。
主祭神
相殿神
武甕槌大神は、日本神話の「国譲り」において、天照大御神の命を受け、経津主神(香取神宮祭神)とともに出雲に降り立ち、大国主神と交渉して国譲りを成し遂げたとされる神である。雷神、剣の神、武の神としての神格を持ち、相撲の祖とも言われる。
社伝によれば、初代神武天皇の即位元年(紀元前660年)に創建されたとされる。神話では、神武天皇が東征の際に武甕槌大神の神剣(布都御魂剣、ふつのみたまのつるぎ)によって助けられたと記されている。
古代において、大和朝廷が東国を平定する上で重要な拠点とされた。『万葉集』には鹿島神宮を詠んだ歌が複数収められている(「鹿島の神」)。
奈良時代には、藤原氏が氏神として崇敬した。これは、武甕槌大神が藤原氏の祖神である天児屋根命とともに天孫降臨に随伴したとされる神話に基づく。このため、奈良に春日大社が創建される際、鹿島の武甕槌大神が分霊され、第一殿に祀られた。
平安時代の『延喜式神名帳』では「常陸国鹿島郡 鹿島神宮」として名神大社に列せられ、全国でも数少ない「神宮」の称号を記された。
武神であることから中世以降は武家の信仰を集め、源頼朝、足利将軍家、徳川将軍家などが篤く崇敬し、社殿の造営や社領の寄進を行った。
剣豪・塚原卜伝(つかはら ぼくでん)は鹿島神宮の神職の家に生まれ、鹿島の神から「一之太刀」(いちのたち)の奥義を授かったと伝えられる。
江戸時代には、現在の主要な社殿の多くが徳川家によって寄進・造営された。
広大な境内は森に覆われ、パワースポットとしても知られている。
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