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天久保

あまくぼ

天久保(あまくぼ)は、茨城県つくば市に位置する地域で、筑波大学周辺の学生街であると同時に市内最大の歓楽街(繁華街)としての顔を持ちます。つくばエクスプレス開業以前から同市の中心商業エリアとして発展し、居酒屋やバー、スナック、カラオケ施設など大小の飲食店が集積しています。特に天久保一丁目は「くいだおれ通り」とも呼ばれ、パブやクラブが密集する独特の雰囲気を醸し出しています。

公式な住民登録人口は2017年8月時点で約4,139人(世帯数3,262)ですが、筑波大学の学生の多くは住民票を移していないため実際の人口はそれを大きく上回ると推定されています。

天久保一丁目の中心部周辺の空撮写真(2019年)。低層の建物が立ち並ぶこの一帯が歓楽街となっている。周囲には大学施設や住宅地が広がる。

歴史的背景と形成経緯

筑波研究学園都市(つくば市)は1960年代以降に計画・開発された日本初の本格的な計画都市であり、国家プロジェクトとして多くの研究施設や筑波大学(1973年開学)が集中的に整備されました。当初の都市計画では商業娯楽施設の整備が不十分で、研究者や学生が余暇を過ごす「界隈」が欠如していたことから、1980年代には転入研究者の孤独や鬱屈が社会問題化し「つくば症候群」と呼ばれる現象まで報じられました。当時、学園都市を訪れた政府高官が「赤ちょうちん(居酒屋)が少ない」と発言した逸話があるように、研究学園都市の初期段階では飲食店街や歓楽街の不足が指摘されていたのです。筑波大学の専門家もまた、東京・新橋のようなサラリーマン街にある飲み屋街の欠如が問題であると指摘していました。

こうした背景のもと、1985年の国際科学技術博覧会(科学万博つくば’85)の開催時期に、天久保一帯で接待を伴う飲食店(スナックやクラブなど)の営業が特例的に許可されました。これは「研究学園都市にも地元の歓楽街が必要であろう」という判断によるもので、計画都市内では異例の措置でした。

この措置をきっかけに天久保一丁目周辺には飲食店が集積し始め、筑波大学の学生街とも相まって夜の街が形成されていきました。もともと天久保地区には農村集落が存在していましたが、1970年代後半の住所変更(旧桜村ほかからの編入)を経て学園都市の一角となり、1980年代までには「天久保ショッピングセンター」と呼ばれる商業施設も建てられていました。そこには古書店や飲食店が並び、昼夜を通じた学生街・商店街として機能していたようです。この商業エリアが夜間にはスナックやバーで賑わう歓楽街へと転じていったことが、天久保歓楽街の起源となりました。

発展と変遷

バブル期(1980年代後半~1990年代初頭)には、天久保の歓楽街は大いに繁盛し活況を呈しました。学生や研究者のみならず、科学万博で訪れた観光客やビジネスマンも流入し、夜の天久保一丁目には古めのスナックからカラオケバーまで多数の店が軒を連ね、北関東の典型的な繁華街の雰囲気が漂っていたといわれます。実際、この区域には「くいだおれ○号館」と名付けられた複数のテナントビル(1号館から8号館程度)が立ち並び、ビル毎に居酒屋・バー・クラブがひしめいていました。俗称の「くいだおれ通り」は、この時期の賑わいと大阪・道頓堀になぞらえた呼称で、現在も看板にその名を掲げています。

しかし2000年代以降、天久保歓楽街は徐々に変容していきます。その大きな契機が2005年のつくばエクスプレス(TX)開業です。TXにより都心からのアクセスが飛躍的に向上すると、駅周辺(つくばセンター地区)に大型商業施設や飲食店街が発達し、新たな繁華街が形成されました。その結果、人々の流れが駅周辺に集中し始め、相対的に大学から離れた天久保の夜の街は客足が減少します。

また、日本全体で進む若者の飲酒離れや、飲み会におけるハラスメント(「飲みハラ」)への意識の高まりも影響しました。筑波大学周辺でも2010年代に入り学生の宴会文化が変化し、飲食店で深夜まで大勢で飲み歩く機会は減少傾向にあります。実際、筑波大学周辺7地区(天久保・春日・桜・竹園・吾妻・柴崎・花畑)における居酒屋・バー等の店舗数は、2003年に174店だったものが2016年には130店と約25%減少しました。

この期間に135店が閉店91店が新規開店しており、店舗数が減少するとともに頻繁な入れ替わりも確認されています。特に、つくば駅周辺や天久保一丁目のような既存飲食街では、一度閉店した後に同業種が再出店するケース(居抜き出店)が少なく、空きテナントが増える傾向が見られました。

こうした趨勢の下、2010年代後半には天久保一丁目の一角でシャッター街と化した区画も目立つようになります。昼間は人通りがまばらで閑散とした印象を与える場所もあり、築数十年のテナントビルの老朽化や空き店舗化が進行しました。

実際、2015年時点の現地調査によれば、空き店舗(未利用地)の分布は天久保地区と竹園地区に集中し、天久保一丁目ではかつての商店街がシャッターを下ろした状態になっていたと報告されています。一方で天久保二丁目や三丁目には学生向けアパートや飲食店(ラーメン店や定食屋など)が多く残り、昼夜を問わず学生生活を支えるエリアとしての役割も維持されています。つまり天久保歓楽街全体としては、駅前への繁華街シフトと若者文化の変化により規模縮小と質的転換の段階を迎えているといえます。

地域的特色と役割

天久保の歓楽街は、つくば市という学術・研究都市における異色の存在として独特の発展を遂げてきました。計画都市の中で半ば例外的に形成されたこのエリアは、研究者や学生にとって「憩いの場」「社交の場」を提供し、筑波研究学園都市に人間味を与える存在でもありました。

都市には歓楽街が付きものだと言われるように、人々が生身で交流しリラックスできる空間として、天久保の夜の街は重要な役割を果たしてきたのです。筑波大学の学生街としての側面も強く、低価格の居酒屋や24時間営業のラーメン店、カラオケボックスなど、若者文化に根差した店も多く見られます。「学生の街つくば」を象徴するエリアとして、昼は学園祭さながらの安価な食堂や古書店が並び、夜はネオンの下で学生や教職員が杯を交わす--そんな情景が長らく繰り広げられてきました。

天久保一丁目の歓楽街(2013年)。ビルにはスナックやバーの看板が並び、「五番館」など番号付きの建物が見える

一方で、歓楽街ならではの課題や影響も指摘されています。治安面では、深夜まで営業する酒場が密集することから酔客同士のトラブルや暴力事件のリスクが存在します。実際に2014年には天久保1丁目のクラブ店内で暴力団関係者による刺傷事件(死亡事故)も発生しており、地域住民に衝撃を与えました。

また、歓楽街周辺の騒音・ごみ問題や駐車車両の迷惑行為などに対する苦情も散発的に聞かれます。学生街として見た場合、近年は女性学生や留学生を中心に夜間の当該地域立ち入りを避ける傾向もあるとの声があり、安全・安心な学生生活との両立が課題となっています。さらに、2010年代後半からは地区内に筑波技術大学や学生寮が所在することもあり、深夜営業店が集中する一丁目から徒歩圏の住宅地域(二丁目以降)では、治安や環境への不安を理由に居住を敬遠する動きもあるようです。

もっとも、総じて茨城県内で見ればつくば市の犯罪発生率は特段高いわけではなく、天久保地区も大学警備や地域パトロールの活動などにより比較的落ち着いた環境を維持しています。歓楽街としての地域的特色は、こうした負の側面も内包しつつ、学園都市の中で異彩を放つナイトライフの中心地という点にあります。

行政の対応と規制

つくば市や茨城県行政は、天久保歓楽街に対して時代の推移に応じた対応と規制を講じてきました。前述の通り、科学万博時には接待飲食店への特別営業許可を与えるという異例の施策が取られました。これは事実上、風俗営業法上の許可が必要なホステス主体のクラブやスナックを「飲食店」として容認する措置であり、行政が地域ニーズに応じて柔軟に対応した例と言えます。当時は研究者や来訪者の福利厚生の一環として歓楽街の存在が黙認・容認されていた面がありました。

その後、バブル崩壊以降は無許可営業や違法風俗店の取り締まりが県警によって強化され、天久保地区でも健全な営業形態への転換が進められました。現在、同地区の夜間営業店は風俗営業許可店(キャバクラ、スナック等)と深夜酒類提供飲食店(居酒屋、バー等)に区分され、法令の範囲内で営業しています。つくば市は繁華街の美観と治安を維持するため、深夜営業店への指導や、防犯指導員の巡回などを行っています。

また、深夜の未成年者立入禁止の周知や、大学と連携した飲酒マナー向上キャンペーン等も実施されてきました。2000年代には地域住民と協働した防犯パトロール隊が結成され、定期的な見回り活動や街路の清掃なども行われています。行政と警察、大学、市民が一体となったこうした取組みにより、歓楽街にありがちな大きな治安悪化は抑えられてきたと言えるでしょう。もっとも、歓楽街特有の問題がゼロになったわけではなく、引き続きナイトスポット周辺の警戒と適切な規制が求められています。

治安対策と安全への取り組み

近年、つくば市全体として防犯対策の強化が図られており、研究学園地区中心部である天久保周辺も重点地域の一つとなっています。茨城県警の公表する犯罪統計によれば、つくば市の刑法犯認知件数は県内で水戸市に次いで多く、その多くが学園都市中心部(つくば駅周辺や天久保界隈)に集中しています。

これを受け、県警は研究学園地区に「スーパー防犯灯」と呼ばれる高機能街路灯(監視カメラ・非常通報装置付き)を設置し、つくば市もペデストリアンデッキや通学路への照明増設・改修を進めました。天久保地区でも主要街路への防犯灯整備が行われ、暗がりの多い路地には順次街灯が新設されています。また、市は平成20年度から「住宅防犯診断制度」を開始し、地域住民への防犯意識啓発を図っています。

歓楽街固有の対策としては、警察による深夜の重点パトロールや、暴力団排除のための協議会設置などが挙げられます。2014年の刺傷事件の際には犯人が逃走したものの、県警は指名手配の上で約10日後に容疑者を逮捕し、以降、暴力団員の出入りに対する監視を強めています。さらに、地域のバーやクラブとも連携し、防犯カメラの設置助成や非常時の通報体制づくりが進められています。これらの取り組みによって、近年の天久保歓楽街は大きな事件の発生も抑えられ、安全性は徐々に向上しつつあります。

再開発計画と今後の展望

天久保歓楽街を含む学園都市中心地区の再開発については、行政や都市開発会社による検討が行われています。つくば市都市計画マスタープランでは、老朽化した商業エリアの活性化が課題とされており、天久保一丁目の地区計画の見直しも議題に上っています。特に、天久保地区には吾妻中学校(2012年開校)や筑波メディカルセンター病院(2015年新築移転)など文教・医療施設が近年建設されたため、PTAや地域住民から「子どもたちの健全育成にふさわしい街区に改めるべきだ」という声が高まっています。

これを受け、市は当該地区を含めた用途地域や地区計画の再検討を進め、夜間営業中心だったエリアに昼間の生活利便施設や住宅を誘導する方策を模索しています。具体的には、天久保一丁目の商業テナント群について、地元のつくば都市整備株式会社(市などが出資する第三セクター)が老朽ビルを再開発する構想が挙がっています。これは、空き店舗が目立つ住区ショッピングセンター(地域商業施設)を建て替えや業態転換によって再生しようとする試みです。

例えば低層の雑居ビル群を取り壊し、高層の学生向けマンションや公共施設と商業テナントを複合したビルを建設するといった案が検討段階にあります。また、つくば駅周辺の再開発との連携も視野に、天久保地区を含む広域的な商業地の配置バランスを見直す議論もなされています。

一方で、古くから営業しているスナックや飲食店主らは「地域の歴史とコミュニティを無視した画一的な再開発には慎重であるべき」との声もあります。歓楽街として長年培われた人のつながりや文化を尊重しつつ、安全で健全な街への転換を図ることが求められており、その実現には地域住民・学生・行政・事業者の合意形成が不可欠です。

コロナ禍(2020年前後)では営業自粛要請により夜の街も一時閑散となりましたが、これを機に健全化とリブランディングを進めようという機運も生まれました。今後、再開発計画が具体化すれば、歓楽街としての天久保はさらに姿を変える可能性があります。学生街・歓楽街という二面性を持つ天久保の地域的特色は、時代の変化に合わせて新たな形へと変容し続けることが予想されます。その変遷の行方に注目が集まるところです。

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この記事の著者

男の感性に火をつける、ライフスタイルWEBマガジン「GENTS-ジェンツ-」運営。
40代を中心とした大人世代に向けて、茨城県南エリアの情報を本当に良いと感じたものだけを厳選して紹介しています。

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