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謎は、失ったものの痛みから始まる。──大人になった今だからこそ響く、科学と情愛のせめぎ合い

年の瀬が近づくと、ふと立ち止まって自分の来し方を振り返ることはないでしょうか。守れなかったもの、選ばなかった道、そして今も胸の奥に仕舞い込んだままの感情。それらは時の流れに薄れることなく、むしろ歳を重ねるごとに静かな重みを増していく。

松下龍之介の『一次元の挿し木』は、そんな大人の痛みに鋭く切り込む一冊だ。

『一次元の挿し木』/松下龍之介

ヒマラヤ山中で発掘された200年前の人骨。そのDNAが4年前に失踪した妹と一致した――。冒頭から突きつけられるこの不条理な謎は、単なるミステリの導入ではない。科学という理性の領域と言葉にできない感情という人間の深淵とが交差する、その入口なのだ。

主人公・悠は遺伝人類学を学ぶ研究者だ。彼は論理とデータで、すべてを解明しようとする。だが、大人になった私たちは知っている。理屈で割り切れるものなど人生にはほとんど存在しないことを。むしろ説明できないからこそ、人は苦悩し、葛藤し、それでも前に進もうとする。

物語はリズミカルに、しかし容赦なく進んでいく。教授の殺害、相次ぐ襲撃、盗まれた人骨。謎が謎を呼ぶ展開の中で、読者は悠とともに翻弄される。だが、この作品が秀逸なのは、スリリングな筋立ての奥に、もっと本質的な問いが潜んでいることだ。

人は、失った大切なものの前で、どこまで冷静でいられるのか。正しさと間違い、理性と感情の境界線は、本当に明確なのだろうか。その問いに、若者は理想を語るだろう。けれど酸いも甘いも噛み分けた私たちには、もっと複雑な感情が湧き上がるはずだ。

年末年始の静謐な夜、暖炉の前で、あるいは書斎の照明を落として。この一冊を傍らに置いてみてはいかがだろうか。ページをめくるごとに謎の深まりとともに人生の機微が、そして失ったものへの想いが静かに染み入ってくるはずだ。

『一次元の挿し木』松下龍之介 著(宝島社文庫)/900円(税込)

この記事の著者

男の感性に火をつける、ライフスタイルWEBマガジン「GENTS-ジェンツ-」運営。
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