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筑波山(つくばさん)は、茨城県つくば市北端にある標高877メートルの山で、日本百名山の一つである。西側の男体山(標高871メートル)と東側の女体山(標高877メートル)からなる双耳峰で、雅称は紫峰(しほう)、別名を筑波嶺(つくばね)とも呼ばれ、茨城県のシンボルの一つとされている。
筑波山は富士山と対比して「西の富士、東の筑波」と称され、古くから多くの人々に親しまれてきた。『万葉集』には筑波山を詠んだ長歌と短歌が25首も収められており、これは富士山の11首を上回る数である。日本百名山、日本百景の一つとされ、百名山では最も標高が低く、開聞岳(標高924メートル)とともに1000メートル未満の山である。
全域が水郷筑波国定公園に指定された保護エリアであり、中腹から山頂付近は特別保護地区(自然公園法)に指定され筑波山神社境内地となっている。古くから樹木および木竹以外の植物の損傷や植栽、動植物の捕獲や採取等が禁じられてきたほか、火器の無許可使用、リード無しのペット散歩等の行為も禁止されている。
山体は筑波山神社の境内地であり、山中には巨石、奇石、名石が数多く散在し、それぞれに名前がつけられ、多くの伝説を生み、それらに対する信仰が今日でも受け継がれている。山そのものが「神域」として崇められ、開山以来「結界」が張られている。現在でも「霊山」であり山の万物が「神体」とされ、「夜間は男体と女体の神々が御幸ヶ原に出現する」ため「二人の遊楽を妨げてはならず入山しない」とする文化がある。
茨城県の県西地方からの眺めが美しいとされ、山肌が朝は藍、昼は緑、夕は紫と一日に幾度も表情を変えることから「紫峰」と呼ばれる。標高877メートルと日本百名山の中で最も標高が低い山だが、ケーブルカーとロープウェイが整備され山頂までのアクセスもよく、登山初心者から山頂を目指すことができる。山頂からの眺望は関東平野を一望できる抜群の景色である。
筑波山は茨城県つくば市北端に位置し、石岡市および桜川市にもまたがる。独立峰に見えるが、実際には八溝山地最南端の筑波山塊に位置する。
火山と誤解されることもあるが、実際には火山ではなく、隆起した深成岩が風雨で削られて形成された。山頂部分は斑れい岩からなり、基部は花崗岩から成る。筑波山は約1億年以上も古い時代に海底に積もった地層に斑れい岩、花崗岩のマグマがあいついで貫入し、その後の地殻変動によって持ち上げられ、山塊となってから風雨による侵食や風化によって堆積物が削りとられたものである。
山体の大部分は硬い斑れい岩と呼ばれる深成岩によって作られている。筑波山の斑れい岩は巨大な一かたまりの岩体をなしているが、女体山山頂付近では白く、山麓では黒っぽい色をしている。これはマグマが冷え固まる際に比重が大きく黒っぽい鉱物がマグマだまりの下部に濃集して、残りの白く比重の軽い部分がマグマの上の方に残ったためと考えられる。最近の研究によると、この斑れい岩は約7500万年前の白亜紀に貫入してきたと考えられている。白い岩からなる女体山の頂上は、遠い昔地下深くでドロドロに溶けていたマグマだまりの天井に近い部分だったと推測される。
筑波山が山になっているのは、筑波山付近を南端として八溝山地から阿武隈山地にかけて広い範囲が隆起してきたためである。筑波山の花崗岩は約6000万年間かけて12キロメートルの深さから今の高さまで隆起してきた。おおざっぱにみて1万年あたり1~2メートルという速度で隆起してきたと考えられ、この速度は日本の山の隆起の速度としては速い方ではない。硬いマグマだまりの化石が「速過ぎず、遅過ぎず、ちょうど良い速度で」隆起したために、平野に直面する山となり、隆起しながら少しずつ山麓に岩屑をふるい落としていったため、美しい裾野をまとう山姿が作られたと考えられている。
高さは長らく三角点の標高である876メートルとされていたが、1999年に最高点の877メートルに変更された。標高約620メートル地点には比較的湧出量の多い湧水があり、これが男体山と女体山の間を南下して桜川へと注ぐ男女川(みなのがわ)の水源地となっている。
筑波山という名称の由来については諸説がある。
縄文時代の筑波山周辺は海であり、筑波山は波を防ぐ堤防の役割を果たしたため「築坡」(つきば)と呼ばれ、のちに筑波となったとする説がある。
「つく」は「尽く」で「崖」を意味し、「ば」は「端」を意味するとする説や、新たに開発して築いた土地として「つくば」は「築地」ないし「佃地」を意味するとする説もある。
「つく」は「斎く」(いつく、神を崇め祀る)あるいは「突く」(つく、突き出す)であり、「ば」は「山」を意味するとする説、「平野の中に独立してある峰」の意の「独坡」にちなむとする説もある。
また、アイヌ語のtuk-pa(とがった頭)またはtukupa(刻み目)にちなむとする説、歌垣の習慣にちなみマオリ語のtuku-pa(交際を許される)に由来するとする説など、様々な説が存在する。
天照大神が筑波山の山頂で紫の筑琴を弾かれたことから「筑波山」という名がついたとする伝承も残されている。
筑波山の歴史は非常に古く、『常陸国風土記』には筑波山の神が登場する。筑波山は富士山と対照されるほどの山容を持っていることから、関東平野に人が住み始めた頃から崇められてきたといわれる。
奈良時代の『万葉集』には筑波山を詠んだ長歌と短歌が25首も載せられており、筑波山は常陸国を代表する山であった。『常陸国風土記』は、新嘗の夜に祖神尊が筑波神を訪ね給うた時、筑波神の真心こめた歓待に感激されて歓びの御歌を筑波山に斎いこめられたことを伝えている。また、足柄坂よりの東の老若男女が騎歩登臨して喜び集い「筑波嶺のかがひ」(歌垣)を催し、『万葉集』や『古今和歌集』に数々の名歌を残した本縁を説いている。
「筑波嶺のかがひ」とは歌垣のことで、若い男女が集まって歌の掛け合いや飲食をする、今で言う「合コン」のようなものであった。春と秋に「裳羽服津」(もはきつ)と呼ばれた場所(現在の夫女ヶ原との説がある)で行われていたとされる。
景行天皇の御代、日本武尊の御東征に当たり、尊は筑波山に登拝し給いて連歌嶽の遺跡をとどめ給い、帰途甲斐国酒折宮にて「にひばり筑波をすぎて幾夜かねつる」と御詠あり、連歌の濫觴をなし給うた。神道と歌道はもと一つで、連歌を「つくばの道」と称し、遂には日本独特の俳句を生んでいる。
奈良時代末から平安時代初め頃には法相宗僧の徳一が筑波山寺、のちの筑波山知足院中禅寺を開いた。これにより神仏習合が進み、筑波山は有数の修験道の道場に発展していく。この神仏習合の時代には「筑波両大権現(両部権現)」とも称されていた。
平安時代に入ると、嵯峨天皇の弘仁14年(823年)正月21日、従五位下筑波神が霊験顕著なるを以て宮社に列し、文徳天皇の嘉祥3年(850年)9月26日、伊勢神宮、加茂神社に奉幣の時、筑波山神社にも使を遣わして奉幣せられた。以来漸次昇叙して清和天皇の貞観13年2月(871年)男神を従三位、同16年11月女神を正四位下に叙せられた。
醍醐天皇の延喜5年4月(905年)、紀貫之は『古今和歌集』二十巻を撰上したが、その序に、天皇の御世の長久を「さざれ石にたとへ筑波山にかけて」願い、その御聖徳を「広き大めぐみのかげ、筑波山のふもとよりしげくおはりまして、よろづのまつりごとをきこしめす」と述べ、筑波山が天皇の御聖代を象徴する霊山として厚く尊崇されていたことを偲ばせている。
武門の時代、建久二年(1191年)源頼朝は安西三郎景益、上総介広常、千葉介常胤、茂木四郎義国等の武将を伴って筑波山神社に参詣し、神領を寄進した。また頼朝の異母弟、八田知家は筑波山麓に小田城を築き、かつ十男筑波八郎(明玄)をして筑波国造の名籍を継がしめ、筑波別当大夫に補しその支族筑波大膳を社司に任じて筑波山神社に奉仕させた。
天正18年8月(1590年)、徳川家康は江戸城に入城し、東北にそびえる筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇めた。慶長5年9月(1600年)関ヶ原の合戦に大勝の後、山司筑波八郎以来の社家筑波氏を悉く追没して家康が厚く帰依していた大和国長谷寺の別当梅心院宥俊を筑波別当に補し、知足院を再興せしめて将軍家の御祈願所と為し、筑波山神社御座替祭を以て江戸城鎮護の神事と定めた。そして慶長7年11月25日(1602年)、筑波山神領五百石を寄進した。
宥俊の弟子二世光誉も家康の信任厚く、慶長15年(1610年)江戸白銀町に護摩堂を建てて常府を仰付けられ、慶長と元和の大阪夏冬の陣には陣中に在って戦勝を祈願し、大願成就の後、元和2年10月(1616年)2代将軍秀忠は筑波山の社堂伽藍を普請した。
さらに寛永9年(1632年)春、3代将軍家光は新たに地を相し工を起して筑波山内の社堂伽藍(日枝神社本殿、春日神社本殿、厳島神社、神橋など)をことごとく造営寄進し、同10年11月(1633年)工成り輪奐の美を尽くした。次いで5代将軍綱吉は知足院十一世隆光を重用し、元禄元年(1688年)神田橋外に地境を倍加して宏荘な護摩堂を建立した。元禄3年2月に続いて8年正月に都合千石を加増したので、筑波山神領は1500石となった。
明治時代初めの「神仏判然令」を契機に起こった廃仏毀釈により、仏教寺院のほとんどは姿を消したが、筑波山神社の境内には江戸時代の文化財が残され、拝観できる。また、大御堂は現在、神社の隣に移り、千手観音をいまに伝えている。
筑波山神社(つくばさんじんじゃ)は筑波山を神体山として祀る神社であり、式内社(名神大社1座、小社1座)、旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社である。主要社殿は男体山本殿(男体山、標高871メートル)、女体山本殿(女体山、標高877メートル)および拝殿(山腹、標高270メートル)の3か所に形成されている。
筑波山神社は坂東無双の名嶽とうたわれた筑波山を境内とし、『万葉集』に「二神の貴き御山と神代より人の言い継ぎ」と崇められているように、古代山岳信仰に始る国内屈指の古社である。西峯男体山頂の磐座に筑波男大神(伊弉諾尊)を、東峯女体山頂の磐座に筑波女大神(伊弉冊尊)を祀る。
山下の南面中腹に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する古代の形が維持されている。筑波山を御神体と崇めまつる神体山信仰に発し、古来春秋両季に行われる御座替祭に供へまつる神衣(かんみそ)に御神霊を奉遷して御神体となす。
筑波山神社の境内は筑波山南面海抜270メートル以上の約370ヘクタール(354ヘクタールとする資料もある)に及ぶ広大なもので、山頂よりの眺望は関東一円におよぶ。本殿は筑波山の男体山と女体山両山頂に鎮座し、山腹にそれらを遥拝する拝殿が立っている。
男体山本殿は昭和30年(1955年)、女体山本殿は昭和54年(1979年)の改築で、いずれも一間社流造である。両山頂間の鞍部は「御幸ヶ原(みゆきがはら)」と呼ばれる。男体山まで約300メートル、女体山までは約600メートルである。
拝殿周辺には門前町が形成されており、一般に「筑波山神社」という場合はこの拝殿周辺を指すことが多い。境内には徳川三代将軍家光寄進の日枝神社本殿、春日神社本殿、厳島神社、神橋等の諸社殿が立ち並び、偉観を放っている。これらの社殿は茨城県やつくば市の指定文化財となっている。また、太刀(銘吉宗)が国の重要文化財に指定されている。
筑波山神社は家内安全、夫婦和合、縁結びの神として広く関東一円より信仰を集めている。高く尊い御神徳により年間を通して多くの方が参拝に訪れる。結婚式や縁結び、交通安全、厄除け等の祈祷も毎日斎行されている。
筑波山は標高877メートルと日本百名山の中で最も標高が低い山であり、また日本百名山の著者である深田久弥氏は選定した第一の理由について、その歴史の古さを挙げている。低山ながら日本の山の主要な要素である原生林、岩場、川の源流、固有植物、展望、歴史、人々の生活との関わりを全て兼ね備えており、日本の典型的な山の要素が凝縮したテーマパークとも言える。
登山道は四方から標高800メートルの御幸ヶ原を目指しており、その中の3コースが首都圏自然歩道に認定されている。標高871メートルの男体山を目指すなら御幸ヶ原コース、標高877メートルの女体山を目指すなら白雲橋コースやおたつ石コースがあり、まずはどちらの山頂を目指すか決めることになる。それぞれのコースはつながっているので、登りと下りのコースを別にすれば様々なバリエーションでの筑波山めぐりが楽しめる。
御幸ヶ原コース(首都圏自然歩道線)は筑波山神社から御幸ヶ原を目指す最も一般的なコースである。登山口に「是より男體山」の道標石のある鳥居がある。コースのほぼ中間地点には休憩場所の広場があり、ケーブルカーのすれ違いが見られる。標高600メートル付近に男女川の水源がある。距離は約2.0キロメートル、標高差は約610メートル、所要時間は登り90分、下り70分である。
白雲橋コースは筑波山神社から女体山を目指すコース。登山道入り口前にある白雲橋からは土木学会選奨土木遺産に認定された筑波山千寺川砂防堰堤群が見られる。「是より女體山」の道標石から100メートルほど登ったところの鳥居が登山口となっている。弁慶茶屋跡から山頂まで急な岩場が連続する。この間「弁慶の七戻り」「高天原」「胎内くぐり」「出船入船」などの奇岩、巨岩が見られる。
おたつ石コースはつつじヶ丘から弁慶茶屋跡までのコースで、筑波山ロープウェイのルートに沿っており木々の間からゴンドラが見える。つつじヶ丘の標高は530メートルで、車やバスで行ける一番高い場所から山頂を目指せるコースである。距離は約1.6キロメートル、所要時間は約70分である。岩場が少なく比較的楽なコースとされる。
その他、迎場コース、深峰歩道、薬王院コース、ユースホステルコースなど複数の登山ルートが整備されている。また、男体山頂付近をグルリと周遊する自然研究路では、国定公園特定保護地区にも指定されているブナ林をはじめ、筑波山の自然観察に最適である。コース上の展望台からは関東平野を一望でき、スカイツリーや富士山を見渡せることもある。
筑波山は標高877メートルと日本百名山の中でも一番標高の低い山だが、自然の中では何が起こるかわからないため、準備は万端にして挑むことが推奨される。登山に適した服装と装備が必要である。また、筑波山は筑波山神社の境内地であり、国定公園に定められており、定められた登山道とハイキングコース以外は立ち入りが禁止されているほか、動植物、昆虫、鉱物などの採取も禁止されている。ゴミは基本的に持ち帰りが原則である。
山麓で降雪がある場合を除き、基本的には冬季でも積雪はない。登山道でハチの被害が発生しているため、来訪される方はハチを目撃した際刺激しないよう注意が必要で、整髪料や香水など香りの強いものはハチを刺激するので登山の際は利用を控えることが推奨される。
筑波山には中腹から山頂付近まで、筑波観光鉄道によりケーブルカーおよびロープウェイが運行されており、登山初心者や体力に自信のない方でも気軽に山頂を目指すことができる。
筑波山ケーブルカーは筑波山神社拝殿横の宮脇駅より男体山山頂近くの御幸ヶ原まで運行される。宮脇駅は関東鉄道などの「筑波山神社入口」バス停下車、徒歩(門前町を通り抜けて約20分)である。ケーブルカーを利用すれば約8分で標高800メートルの御幸ヶ原に到着できる。
筑波山ロープウェイはつつじヶ丘レストハウスに併設されたつつじヶ丘駅より女体山山頂まで運行される。つつじヶ丘駅は関東鉄道などの「つつじヶ丘」バス停前である。ロープウェイを利用すれば約6分で女体山頂に到着できる。
御幸ヶ原には筑波山ケーブルカーの筑波山頂駅があり、土産物屋や食堂等が集積している。山頂連絡路で男体山頂と女体山頂を行き来することも可能で、それぞれ約15分の道中、ツツジやカタクリの群生地なども楽しめる。
秋から冬にかけて夜の空気が澄み渡る時期には、筑波山ロープウェイ夜の空中散歩「スターダストクルージング」が開催される。眼下にはつくば市と土浦市の夜景を始め、遠くには東京や埼玉、千葉の夜景を見ることができる(荒天時、年始、検査時除く)。近年では、すぐれた普遍的価値をもつ、誰もが楽しめる夜景地として「日本夜景遺産」にも認定されている。
筑波山を覆う数多い植物は、寒冷期に北から下がってきた冷温帯の植物であるブナ林を山頂部に冠のように残し、山麓部分には暖温帯の常緑広葉樹林が広がるという、きわめて多彩な姿となっている。このブナ林は日本一北にある太平洋型ブナ林とされる。しかし地球の温暖化が進めばブナ林が生存できなくなるかもしれないと懸念されている。
筑波山では学術的にも珍しい植物が数多く見られる。つくば市の花として選定されている「ホシザキユキノシタ」をはじめ、ツクバネなど筑波の名を冠した珍しい草花を見つけることができる。山内は長い間神域として保護されてきたため、昆虫や野鳥も数多く、関東平野に残る貴重な「自然の宝庫」といってよい。
標高140メートル付近ではミカンが栽培される。ウンシュウミカンやナツミカンも栽培されるが、在来種の「筑波みかん」または「福来みかん」(ふくれみかん)と呼ばれる、直径2~3センチメートルの小型みかんが栽培されている。ふくれみかんは果皮が薄く、種子が大きい。これは日本一北にあるみかん栽培地とされる。
筑波山中腹(標高約250メートル付近)にはつくば市営の梅林(筑波山梅林)がある。白梅、紅梅などの約30種、1000本程の梅が約4.5ヘクタールの園内に植えられており、木道やあずまやが整備されている。早咲きの梅花は1月下旬から見頃となり、最盛期には筑波石の巨岩と満開の梅とが独特の風景をなす。また好天時には富士山や東京の高層ビルを臨める。筑波山梅林は筑波山地域ジオパークの見どころの一つとなっている。
山麓の北条から筑波山神社に至るつくば道(神郡街道)は江戸時代、江戸城の鬼門にあたる筑波山の中禅寺を改修するために造られた歴史と伝統ある道で、筑波山への信仰の道として栄え、「日本の道100選」にも選ばれている。
筑波山神社から徒歩圏内には筑波山大御堂(中禅寺)が隣接している。坂東三十三観音25番札所であり、千手観音を祀っている。明治時代の廃仏毀釈により神社から分離したが、現在も多くの参拝者が訪れる。
筑波山梅まつりは毎年2月中旬から3月中旬にかけて筑波山中腹の筑波山梅林で行われる祭りである。第1回は1974年(昭和49年)で、2025年で52回目となる。毎年約20万人の人出がある。
祭り期間中は特設ステージでのイベントの他、ガマの油売り口上の披露、甘酒や梅茶のサービス、茶会の催しなどがある。ガマの油売り口上は江戸時代発祥とされる伝統芸能で、つくば市認定地域無形民俗文化財として認定されている。期間中は毎日披露される。
梅まつり期間中には周辺店舗で梅を使用した「つくばの梅(うめ~)食特別メニュー」や筑波山名物つくばうどん特別企画が楽しめる。つくばうどんは「つ」つくば地鶏のつくね、「く」つくば産くろ野菜、「ば」ローズポークのバラ肉からネーミングされ、麺には霞ヶ浦産のレンコンを使用した名物うどんである。
また、梅林、観光案内所、ケーブルカー宮脇駅の3か所に設置された「印」を捺し巡り、さらに筑波山神社または筑波山大御堂で御朱印を受けることで、自分だけの御朱印をつくることができる「筑波山捺し巡り御朱印」も人気である。
フォレストアドベンチャー・つくばでは梅まつり限定で100メートルにおよぶジップスライドを体験できる特別プランが登場し、満開の梅林の真上を100メートルにわたって滑空できる特別な体験ができる。
春と秋には筑波山神社の例大祭「御座替祭(おざがわりさい)」が執り行われる。これは神衣(かんみそ)に御神霊を奉遷して御神体となす重要な神事で、江戸時代には江戸城鎮護の神事と定められていた。
筑波山の中腹には筑波温泉と筑波山温泉「双神の湯」のふたつの源泉がある。美肌の湯としても知られ、日帰り入浴ができる施設も多いので気軽に立ち寄れる。
筑波山には関東平野を眺望できる「筑波山ホテル青木屋」や筑波山神社から徒歩8分の場所にある「江戸屋」、「亀の井ホテル 筑波山」など、温泉が楽しめる宿泊施設が複数ある。梅まつりやハイキングを楽しむと共に、温泉でほっと一息つくのも筑波山観光の楽しみの一つである。
筑波山は「ガマの油売りの口上」でも知られる。これは江戸時代発祥とされる伝統芸能で、筑波山の名物として今日でも観光客に披露されている。
筑波山名物つくばうどんは「つ」つくば地鶏のつくね、「く」つくば産くろ野菜、「ば」ローズポークのバラ肉からネーミングされ、麺には霞ヶ浦産のレンコンを使用した名物うどんで、筑波山周辺各店舗でオリジナルが提供されている。
福来みかん(ふくれみかん)は筑波山で栽培される直径2~3センチメートルの小型みかんで、果皮が薄く種子が大きいのが特徴である。日本一北にあるみかん栽培地の特産品として知られる。
門前町には土産物店やそば店などが立ち並び、筑波山の恵みを使った様々な商品や料理を楽しむことができる。
電車を利用する場合、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスで「つくば駅」下車後、筑波山シャトルバスに乗車し「筑波山神社入口」下車(約40分)となる。東京駅からつくば駅までは約50分である。
自動車を利用する場合、常磐自動車道「土浦北インターチェンジ」より約20キロメートル、北関東自動車道「桜川筑西インターチェンジ」より約20キロメートル、首都圏中央連絡自動車道「つくば中央インターチェンジ」より約20キロメートルである。都心からは約1時間でアクセス可能である。
市営筑波山駐車場(開放時間は5時~20時、大晦日と元旦は除く)は二輪車250円、普通自動車500円、大型自動車2000円である。筑波山つつじヶ丘駐車場(営業時間外は無料解放、大晦日と元旦は除く)は二輪車200円、普通自動車500円、マイクロバス2000円である。
ゴールデンウイークや秋の紅葉シーズンには交通渋滞が深刻なため、茨城県、つくば市、筑波大学などにより「筑波山周辺渋滞対策協議会」が設けられている。混雑時期には公共交通機関の利用が推奨される。
「筑波山」について、誤字脱字や情報の追加・修正など、改善のご提案をお待ちしています。
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