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冬の夜、暗がりの中で一人、コンビニ弁当を開ける。そんな風景に、どこか見覚えはないだろうか。
離婚、親しい人との別れ、あるいは思い描いていた人生との訣別。大人になるということは、何かを手放すことの連続でもある。四十を過ぎれば、誰もが幾つかの「喪失」を胸に抱えて生きている。それは決して弱さではなく、むしろ生きた証なのだと、頭では分かっている。けれど——心が、追いついてくれない夜もある。
四十一歳の野宮薫子は、離婚を機に生活が荒んでいた。そこに追い打ちをかけるように、溺愛していた弟が二十九歳で急死する。法務局で黙々と働く日々。夜は酒に頼る日々。人生は続いているが、生きている実感は薄れていく。
そんな薫子を変えたのは、弟の元恋人・せつなが振る舞った一皿の料理だった。
家事代行サービス会社「カフネ」で働くせつなの手料理。それは単なる食事ではなく、誰かに「生きていてほしい」と願われることの、最も素朴で、最も確かな形。湯気の向こうに見えたのは、人が人を想う温度。そして——自分もまた、誰かのために何かをしたいという、忘れかけていた感情だった。
「カフネ」とは、ポルトガル語で「頭を優しく撫でる」という意味だという。言葉にならない慰め。技巧ではなく、存在そのものが放つ温もり。本書が描くのは、まさにそうした「優しさの所作」である。
薫子とせつなは、週末の無料家事代行サービスに携わることになる。料理を作り、部屋を整える。それだけのことが、どれほど人を救うか。シングルペアレントの家庭、要介護者のいる家庭、心身ともに疲弊した人々——この物語が向き合うのは、社会の構造に押し潰されそうな、けれど懸命に生きている人たちの姿だ。
読み進めるうちに気づく。これは「助ける側」と「助けられる側」という単純な構図ではない。薫子もせつなも、弟の死という喪失を抱えている。そして彼女たちが出会う人々も、それぞれの喪失を生きている。人は誰もが傷つき、誰もが救いを求め、そして——誰もが誰かを救うことができる。その相互性こそが、この物語の静かな強さだ。
本書は、男性読者にこそ手に取ってほしい一冊でもある。
なぜなら、ここに描かれるのは「弱さを認める勇気」だからだ。薫子は決して完璧な人間ではない。せつなもまた、不器用で、感情をうまく表に出せない。けれど二人は、互いの不完全さを認め合いながら、少しずつ前に進んでいく。それは、男性が往々にして苦手とする、「頼ること」と「頼られること」のバランスを、優しく教えてくれる。
強くあらねばと思い続けた日々。けれど本当の強さとは、自分の弱さを知り、それでも人と繋がろうとすることではないか——そんな問いが、静かに胸に響く。
余韻を残す結末。弟の死の真相が明らかになるとき、物語は「喪失」から「再生」へと、ゆっくりと歩を進める。涙を流すかもしれない。それでいい。涙は弱さではなく、心が動いた証なのだから。
この冬、書斎の一角に『カフネ』を。
湯気の立つコーヒーと共に、一人静かに頁を繰る時間。それは、忙しない日常の中で自分自身の心と向き合う、貴重なひとときになるだろう。喪失を知る者だけが辿り着ける、温もりという名の抵抗。その意味を、あなたも感じてほしい。
『カフネ』阿部暁子 著(講談社)/1870円(税込)
男の感性に火をつける、ライフスタイルWEBマガジン「GENTS-ジェンツ-」運営。
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